がん(ガン、癌)の告知


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告知賛成

わたしはがんの告知に賛成です.しかしがんの告知という言葉は好きではありません.他の病気では告知という言葉はあまり聞かれません.足にけがをして受診した人に、"あなたは骨折しています".あるいは胸を急に痛がって受診した人に、"あなたは心筋梗塞です"、というのは普通のことです.がんの時にだけなぜ告知ということが取り上げられるのか分からないからです.がんが怖い病気だからと言われるかも知れませんが、他の病気も同じです.例えば、心筋梗塞は怖い病気です.病院に到着した時点で、すでに心肺停止となっているひとはほとんど亡くなるし、無事に病院に到着したひとの15ー20%は退院できずに亡くなってしまいます.本人に非常に危険な状態であることを説明し、今後の治療について相談します.これは当然のことです.一方、がんの告知の場合には外来で話しを聞いた後で、仕事に戻って、仕事帰りに本屋で立ち読みをして、家で家族と相談できるのです.告知とは私の考えからすると少し堅すぎる表現です.がんの告知と言った途端に、バックグラウンドミュージックが流れ、横にソーシャルワーカーが待期しているような状況を考えるのは私だけでしょうか.

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病院の役割

あなたは何の目的で医師を訪れるのでしょう.長生きしたいから、苦しみたくないからだと思います.そのために自分の病名を聞きこのまま放置していていいのか、それとも何らかの治療をしたほうがいいのかを聞きに来ているではないでしょうか.もし、病名が聞きたくなかったら、医師に、"私は病名は聞きたくないが、これからどうすれば良いか"と告げればよいのです.ただし、この場合にはかなりの部分を主治医の判断に委ねなくてはなりません.

一方、病名と病状を聞いていれば、主治医の呈示する今後の治療方針に納得が行けば治療を受けるし、納得が行かなければ他の方法を聞いたり、他の医師や民間療法を選ぶのも自由です.精神的に大丈夫かどうかは次のことです.わたしもほとんどの方にがんだとお話しをしていますが、わたしは精神的に支えているという意識はありません.支えるのは患者自身や家族や友人です.あなたは医師に支えを求めて病院に来ているのではなく、まず、情報を得に来ているのです.

自分ががんなのか、そうではないのかと中ぶらりんの状態がつらいのです.検査をしてがんだと判ると、ショックは受けますが逆に精神的には安定します.そして、覚悟を決めて次のこと,例えば手術や他の治療に積極的に取り組まれる方がほとんどです.

自分ががんだとしたら知らせて欲しくないという人がいます.しかし、これは稀です.自分ががんなら教えて欲しいと考える人が増加しています.しかし、最近でも家族や配偶者には真の病名を伝えながら、本人には軽い病名を伝えるというやり方が主治医によっては行われています.夫婦でがんの治療を受けながら、お互いに自分の病名を知らずに相手の病名は知っていて、相手の病状や今後の問題点を主治医と相談しているという話しを聞いたことがあります.何か疑問を感じないでしょうか.よく起こることは医師からまず患者さんの家族に話があります.すると家族は告知は大変で可愛そうだと思って本人には隠してくれと医師に頼みます.すると、その後は本人は医師からも、家族からも1人前の人間としてまともに話をしてもらえません.つまり、あなたはがんではないのよ、大丈夫よと言われるのです.理由は説明してもらえないのです.

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知らない悩み

自分の病名を聞かされずに、あるいは異なった病名を告げられて、医師の指示に従って治療を受ける.その間に、悩むことは自分はがんなのか、がんではないのかという問題です.現在行われている治療法が正しいのか、今後の身の振り方はどうするかという問題は2の次です.考える土台になる情報が不足あるいは誤っているので、正確な判断は下すことはできません.

がんであることが分かればこの悩みからは開放されます.もちろん、ショックは大きいと思いますが、次の段階に進むことができます.病名を知らないままでは家庭の医学書や専門書を読んでも、テレビや新聞やインターネットを見ても自分に必要な情報と不必要な情報を選択することは不可能です.病名を知らずに自分の症状と検査そして医師から話されたあいまいな表現や本当でない情報をもとに自分の病気を考えるのは無理です.私は学生の頃にはいろいろな病気を講義で習い本で読みました.最初はどの病気の症状を聞いても自分に思い当たることがあり、自分はこの病気を持っているのではないかと感じました.周囲の学生もそう感じていたようです.例えば、胃潰瘍や十二指腸潰瘍では腹痛や気持ちが悪くなるなどの症状を習います、次に胃がんではやはり同じ症状を習います、次にお腹をこわしたときにも、その他にも、腸結核、腸の癒着、膵炎と学生からみればみんな似たような症状に思えます.しかし、あなたの病名は肺がんですよといわれれば、たとえ厚い医学専門の内科学という教科書でさえも8ページしかありません.興味のあるところを20行程でも読破すれば、かなり正確な情報手に入れられます.家庭の医学の本なら簡単でページももっと少ないでしょう.分からないところや自分が本のどこに当たるかは医師に相談すれば答えてくれます.もし、興味がなければ医師任せにもできるのです.

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人物の見極め

病名を聞いたショックですが、実際自分ががんになったらどんな気持ちになるか分かりません.しばしば高名な先生が"相手を見極めて大丈夫だと判断したら始めて本当のことを伝える"といっていますが、私は例え10年間つきあっている人でもその人がどの程度ショックを受けるかは分かりません.実際にはお話ししておおきな問題になったことはありません.しかし、わたしの話しを聞いてうつ病になったというひとが一人いますが、この方も他の医師のいうことは信用できないといってわたしのところに時々検査に来ていて、5年以上たちます.相手を見極めて話しをするという先生方は結局はきちっと話しをしていないのではないでしょうか.

 

初めの一歩

医療の世界では始めてのことは非常に恐ろしいことです.点滴でも輸血でも手術でもどれほど怖い思いをして行ったのでしょうか.もちろん、命がかかってくるからです.人が点滴を行うのをみて、なにも問題がなければ怖さは減ります.告知に関しても同じです.しかし、患者さんに本当の事を話しても、話された患者さんは元気に頑張っています.また、手術をして進行しているために手がつかなかった患者さんにも、本当の事を話しています.当時は驚きました。しかし、患者さんは動揺しながらも前向きに冷静に現実を見ています.

それまでは患者さんにがんを知らせないことが重要な医療であり、知ったが最後大変な事になると思っていました.しかし、その大変なこととはどんなことかは解りませんでした.とにかく、知らないことはとても怖いのです.その昔、がんの患者さんがいて、奥さんには主治医からがんであることが告げられました.その奥さんはご主人に、医師から聞いた事をすっかりご主人に伝えました.そのご主人もしっかりしていました.当時はなんていう奥さんだろうと考えて、変わった御夫婦だなという位にしか考えませんでした.今考えると奥様は医師と奥さんの両方の役割を引き受けていたのだと思います。

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告知のメリット

1989年に慈恵医大病院に帰ってからも、ずっと本当の病名を話す様にしています.また、聞かれれば解る範囲で病気の進行度や予後(今後生きられる期間)の見込みについても話します.但し、予後に関しては正確な答えは持っていません、つまり、わからないところが多いという話しもします.

病名を聞けば次の段階に進むことができます.つまり、どんな治療が良いか.手術や抗がん剤や放射線療法の西洋医学がいいか、針や灸や漢方の東洋医学がいいか、民間療法がいいか.もちろん私は最初に西洋医学を選びます.この医師でいいのか、この病院でいいのか、人生設計はどうするか.つまり、患者本人の裁量権が行使できるのです.家を新築する予定を変更したり、財産を処分したり、仕事に打ち込んだり、仕事をやめて家族との時間を増やしたり.世界一周旅行に出かけたり.新たに正しい情報の元で人生設計をするのです.短いかもしれない貴重な時間の使い方を自分で決めるべきです.情報がなくて10年後のために嫌な生活を送って、動けなくなってからああすれば良かったでは遅いのです.

病名を知らない例

本人のみ病名を知らないときにどのような問題点があるでしょう.まず、家族です.例えば、ご主人ががんの場合には"おれは、がんなのかな、しかも、腰も痛いし"といいます.すると、奥さんは"そんなことはないわよ.腰は変形性脊椎症という骨の変形のせいよ"と言ってしばらく黙っていて、部屋から出ていってしまいます.これはどうゆう状況でしょうか.まず、ご主人が不安に思って奥さんに話しかけているのですが、奥さんはご主人が可愛そうで部屋にいられず外で隠れて泣いていたのです.ご主人からすれば不安なので奥さんに話し相手になってもらったり、愚痴や聞いてもらいたいのです.しかし、放置されてしまいました.奥さんにすれば涙を見せたりうかつにものをいってがんであることを悟られまいと必死です.本人はこれでも気丈に頑張っているのです.しかも、主治医と良く相談しており、これを聞かれたらこう答えるという口裏も合わせてあるので、質問には奥さんが答えています.これで御夫婦は幸せでしょうか.

一方、主治医は本人に合うと色々質問されるので、話しをするのはおっくうです.奥さんとは本人に悟られないように合って、病状の説明や質問の答えの口裏を合わせるようにしているので、時間も手間もかけています.他の医師や看護婦はどうでしょう.本人の質問を受けてもうかつに自分の意見を話して、主治医の話しと食い違ったら困ります.ですから、足は遠のくし、質問を受ければそれは主治医に聞いて下さいと言って、だれも患者さんに説明をしてくれません.

さて、この話しで、ご主人は幸せでしょうか.自分の体なのに、自分抜きで話しが進んでいるのです.プライドはどこにいくのでしょう.本人が病名を知っていれば、奥さんはわだかまりなく横にいて一緒に泣いたり笑ったりしてくれます.主治医は隠すことを検討するのではなく、どうすれば一番いい結果を生むかに精神を集中できるので、治療やその他の疼痛対策や心の支えになる余裕も生まれます.それに、主治医以外の医師や看護婦も聞けば正直に自分の意見を言ってくれので話しも説得力があり納得できるようになります.

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予後について

患者さんへの話しと家族への話しでは、通常今後の見込みの話しは変えて話されることが多いと思います.実際に今後何か月あるいは何年生きられるかについては医師自身も確証はありません.それはがんは一人、一人その性質が異なり、しかも、その細胞の一つ一つも性質が違うからです.医師は短ければこの位で、長ければこの位と漠然と考えているだけです.正確に予想することはできません.それでは、話しをするときはどうでしょうか.長いかも知れないし短いかも知れないとしか言えません.しかし、それでも"どのくらいでしょうか"といわれれば、ある程度の平均的な予想の話しをします.

見込みが違って予想より長生きすればうれしいことです. 「医師に3、4か月の命と言われたのに民間療法が効いてもっと長生きできた.」といわれても,元来,予想はできないのです.がんでも他の病気でも治療法の優劣を議論するときは、なにもしないときどうなのかという予想ができないから評価するのは非常に難しいのです.

がんの予後の話しをするときに、5年生存率というものを使います.これはがんが発見されたり、手術や抗がん剤の治療をしたあとで100人の患者さんの中で、5年後に何人が生きていられるかを確率(%)で示したものです.もちろん5年生存率の確率が低ければとてもたちの悪いがんですし、5年生存率が高ければ逆にたちの良いがんです.しかし、いずれにしてもこれは統計的な話しなので、たちが悪くても良くても実際に患者さんにとっては生きているか違うかのどちらかしかありません.生活の質ならば30%位生きているという表現があるかもしれませんが、生死に関してはall or none(生きているか違うか)だからです.

 

非告知の欠点

がんの告知についていまだ国民的合意に至っていません.医師会でも明確な表現は避けています.隠すことがどれほど大変な作業であり、本人も家族もどれほど傷つくかは測りしれません.知らされているのも家族全員でない場合もあります.このときには、後で何故隠していたのかがやはり問題になります.それは知っていればこうしてあげればよかった、あのときもっと一緒にいれば良かったなど色々な後悔が生まれるからです.そして、これは逆に苦労して親切で隠していた人への恨みや憎しみにも変化します.

以前、肺がんの方のご主人が来て、奥様にはこのことを話さないで欲しいと頼まれました.わたしはついいつもの調子で手術をした結果あなたは肺がんですよと話してしまいました.その後、「ご主人から電話がありました。」と聞いたときに、言わないで欲しいと言われたことを思い出して愕然としました.急いで謝罪の電話を御自宅にするとご主人の言葉は予想外でした.それは"いやー、先生、本当にありがとうございました.おかげで家内もわたしもほっとしました."という内容でした.きっと、うそをつくことにかなり負担を感じていたのでしょう.

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選択する権利

告知の有無はいろいろなことに派及していきます。真実を伝えることにより医療の情報公開やカルテの開示が具体的な意味を持ってきます.情報を知らないで相手に任せるというのはどのようなことなのか.例えば、毎日会社に通うのにどうしようかと相談した時のことを考えてみましょう。しかし、自分では家の場所も会社の場所も知らないのです.自転車屋では自転車で行きなさいと自転車を売られ、また違う場所ではそれならと電車の定期券を売ってくれた.また、違う人は大型のトラックを売ってくれたり、また乗用車を売ってくれる人もいる.このように色々な方法があります.家族や親戚や近所のひとに聞いても、「そういえば隣の人は車で通っているが渋滞で大変だよ.」とか「いや、向かいの人は近くだから歩きだけど楽そうだよ.」と言ってくれるかも知れませんが参考になりません.他の専門家に聞いても、「それは、状況によりけりだね.近ければ歩きもいいし、遠ければ電車も便利だ.」とあまり参考になりません.しかし、わたしは横浜に住んでいて、新橋まで約30キロを通うと言えば、歩きがいいよと進める人はあまりいないでしょう.しかし、車がいいか健康のために自転車がいいか、車ならトラックがいいか4人乗りのセダンがいいか、これは本人が決めることです.

病名を知っているからこそ、手術の適応(行うことで利益があるかどうか)や手術の内容が重要な意味を持ってくるのです.病名が曖昧で手術をどうするか、如何に行うかを論ずるのは誤った結論しか導き出すことしかできません.さらには抗がん剤や他の薬の種類やその量と回数や組み合わせ.これも同様です.この他にも、何の痛み止めを使うのか、抗生物質が必要か、いくらでも話し合うことはあります.これらを知ってこそ、主治医と一緒に議論や相談ができるのです.

 

セカンドオピニオン

いま、セカンドオピニオンが叫ばれています.セカンドオピニオンとは現在の医師から指示されていることが医療現場ではどのようなことなのかを知るために行います.他の医師を尋ね、主治医から公開された情報を元に相談をして、自分が受けようとしている治療が最良の判断か、あるいは可能性が低いが挑戦するという医師の表現が正しいか等を相談に行くことをいいます.これも、情報の開示ができているから行えるのです.良識のある医師や自分の医療に自身があればもちろん、セカンドオピニオンのための情報開示には進んで応じるはずです.もちろん、外来が忙しくすぐには応じてもらえなかったり、そのために治療開始が遅れることを憂慮する必要もあります.

この情報開示は医師にとっても良い緊張感を生みます.医師にしても、自分の医療の内容をある程度でも伝えていれば、その内容に関しての利点、欠点を明らかにしていなくてはならないのです.つまり、医師自身が自分の行う医療行為をプロとして選択し、医療関係者内部でも外部でもチェックを受けても恥ずかしくない医療を行う方向へと向かうのです.

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隠す恐怖

昔は、がんで手術ができないと思わせないために、家族に頼まれて、手術時間が短いと怪しまれるから麻酔を意味もなく長くかけていたり、意味もないのに集中治療室に入れたりということもありました.医師にこんなことをことをして欲しくて病院にきているひとはいるのでしょうか.

 

精神の動揺

告知は医療上必要なことであり、その後の事は、本人や家族の哲学や宗教感などの医療外の問題です.がんと診断されれば大きなストレスとなり、さまざまな感情が生まれます.目の前が真っ暗になったり絶望を感じたり、希望を持ったり、恐れを感じたり、これは大きな障害に直面したときの当り前の感情です.しかし、この気持ちを家族や友人に話したり.医療関係者に今後の事を相談することにより、次第に冷静になってきます.もちろん不安が完全に消える訳ではありません.波の様に寄せては引くことを繰り返すと思います.その都度、家族や友人と泣いたり怒ったりけんかをしたりして克服するのです.真実を知らされていない、納得がいかない不安は考えを悪い方へ悪い方へと導くのです.信頼する医師は正確な情報を伝えることによりこの不安の増幅を止めることができるのです.もし、これで足りないのなら精神科医やケースワーカーや宗教家の出番なのでしょう.

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(1997.7 秋葉 直志)